ポイ捨てが奪うもの
こんにちは!aiyanmomです。
今日から仕事初めという方も多かったのではないでしょうか。
夫も仕事再開だったので、我が家は一気に平常運転に戻りました。
さてさて、年が明けてからずっと晴れの日が続いている東京。
今日もお天気が良かったので、娘と少しお散歩に出かけました。
何てことはない、散歩の風景…
しかし、この写真をよーく見ると、何か気付きませんか?
ペットボトルやお菓子の袋、タバコの吸殻などなど、「ポイ捨てされたゴミ」があちらこちらに散乱しています。
ゴミのポイ捨て…ダメと分かっていながらも、大小問わず誰しもが一度は経験があると思います。
私だってもちろん経験があります。
どうしても近くにゴミ箱がなかったから
ゴミを持ち帰るのが面倒だったから
無意識に・・・
等々、その理由も様々でしょう。
で、今日はどうしてこれを話題にしたかというと…
「ゴミのポイ捨て、したらアカン!」
という当たり前なことを伝えたいわけではありません。
私の中にある変化が起きて、そこから気づいたことを知ってもらいたいからです。
今日歩いた散歩道はこれまでも何度も通っている道です。
ということは、その道を歩いた回数と同じだけ「ポイ捨てされたゴミ」を目にしていたはずなのです。
なのに今日はやたらとゴミが目につく。。
なんでやろ?今までと今日で何がちゃうんやろ?
少し考えてみて、すぐに気づきました。
娘が前より歩くようになり、いろんなことに興味を持ち出した
これが大きな変化でした。
今日のお散歩の時、周りに生い茂る雑草とは明らかに違うゴミの存在に、娘も当然気づきました。
娘はまだ1歳です。
1歳の娘にとって、新しいものに出会った時にする行動は
「触る」その次に「口に入れる」です。
・・・もう分かりますよね?
今日娘は、落ちているゴミを手に取ろうとしました。
その瞬間、私は
「ダメ!これはアッペッペ(汚いものという意味)!」
と、娘の手を払いのけました。
こんなことはあえて記事にすることでもなく、子どもを持つ親ならば日常的に経験のあることでしょう。
子どもにとってはゴミというものの存在を知る一つのきっかけになった、といえばこの出来事にもメリットはあります。
ゴミが落ちていればそうやって親が注意してゴミをいうものの存在を教えていけばいいのだし、誤飲しないように子どもの行動を常に見守ることは親の務めとして当然のことだ、ということは重々分かっています。
でも、私が伝えたい論点はそこではないのです。
1歳を過ぎ、自分の足で歩けるようになった娘は、今知的好奇心で満ち溢れています。
初めて見るモノには何でも触れてみたいし、口に入れて確かめてみたい。
そんな娘の好奇心を最大限邪魔したくない…それが親としての私の思いです。
道端に落ちているゴミを見て、不思議そうにして、
これ何かなぁ、触ってみようかなぁ、舐めてみようかなぁ
と目をキラキラさせている娘に対して
「ダメ!」
と一方的に取り上げなければならない親の気持ち、分かりますか?
私が伝えたいのはこのことです。
ポイ捨てされたゴミは、本来そこになくてもいいもの。
ゴミを見つけた子どもが、それを触ろうとしたら、口に入れようとしたら…
誤飲による窒息の危険性の有無を問う以前に
子どもの知的好奇心を奪ってしまう存在になる
ということを知ってもらいたかったのです。
「地球はゴミ箱じゃない」「吸う人はマナーを」などのポイ捨てに関するCMを何十年もやっていても一向に減らないのは、結局は
ゴミがポイ捨てしてあっても自分は特に被害を被らない
からだと思います。
私もそうでした。
今日娘に「ダメ!」と言って、初めて気付いたことです。
知的好奇心旺盛な子どもに対して「ダメ!」というのは親として胸が辛くなる瞬間です。(躾とは別の問題として、です)
家の中でも外でも、なるべく「ダメ!」と言わないで済むように最大限の努力をしていても、やっぱり1日に何度も「ダメ!」と言ってしまって反省してしまいます。
そのうち子どもも学習していってゴミの存在を認識できるようになるけれど、そこに至る前の段階で、小さな小さな好奇心の芽を摘んでほしくない…というのが私の切なる思いです。
道端にゴミが一つでも減ったら、「ダメ!」という瞬間も減らせます。
この記事を読んでくださった方がほんの少し、ポイ捨てということに目を向けてくださったら幸いです。
長々と失礼しました!
今日は何気ないお散歩からふと感じたことを書きました。
ではまた!
aiyanmom